時間に対する平等値と差別値

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平等と差別…

こうやって文字を並べると差別よりもやっぱり平等が良いと思う方も多いのではないでしょうか、

しかし、私たちはこの平等と差別が網の目のように絡み合った世界に生きてます。

今回は時間にある平等と差別についてお伝えできたらと思ってます、そしていつものように私の視点となります、良かったらお付き合い下さい。

止まらない時間

書物や啓発などで限られた時間をどう有効に使うかなどのテーマはよくあります。

1日が24時間という流れがあります。
これは地球が自転するからですよね、

なのでこの時間は止まることはありません、そして時間が存在することで3次元という世界が成り立ちます。

これは誰もが同じ時間帯を歩む平等でもあります。

では視点として「平等ではない時間」つまり「差別的な時間」があるとしたらそれは何でしょうか?

それは「心の時間」だと私は思ってます。

この「心の時間」についてお伝えする前に、一旦時間についての真理に視点を変えてさせていただきます。

真理としての平等と差別

地球的真理について触れてくと平等値と差別値があることに気づいてきます。

生まれたらいずれ寿命を迎え死ぬという時間の平等があります、私たちは死の元に平等という視点です。

そして時間の差別とは、生まれ寿命を迎え死ぬ、その中で何をして心を磨いたかという視点です。

もう少し深く見ていくと、
誰もが生まれて死ぬまでの時間を自由に使える平等値と、

その時間の中で選んだ自由に対して責任を背負わなくてはならない差別値があるとも言えます。

例えば、
自分を中心とした考えや行動を続けた人生だとしたら、自分という点が人生であったとします、これは自己中心の自由であり、

もう一方、
他の人のために働きかけた人生だとしたら、自分という点から他の人へと波紋のように繋ぎ広げた人生だと例えれます、こちらは自己拡大の自由です。

これを愛という視点で言い変えてみると、

自分だけの愛いを求めるために奪い続けた人生なのか、

自分から広がる愛を求めるために与え続けた人生なのか、

とも例えれます。

ではこの2つの自由に使った時間から生まれた責任(差別値)を「心の実り」とするならば、大きな果実にとなったのは、誰かの為に生きた人生ではないでしょうか、つまりこの果実とは「人のために生きた愛が心を成長させた」人生とも言えます。

差別値とは与えられた時間を「心(魂)の成長に使えた」かです。

では平等値と差別値の視点から「心の時間」へと視点を戻します。

心の時間

もう一度お伝えしますが24時間という時間は平等です、これは誰もが歳を取り死を迎える「諸行無常」の儚い世界です。

では心という精神性の世界はどうでしょうか?

例えば、大切な方が先に死を迎えたとします。
するとその出来事の大きさに悲しみ、辛さの中に埋もれてしまう方も中にはいるでしょう。

その悲しみ、辛さから抜け出せず、10年という月日がたったとします。

ではこの時、その人の心はどの時間を生き続けてるのでしょうか?
現在でしょうか? いいえ、それは10年前の時と共にあります、つまり心の時を止めてる、もしくはゆっくりとした時の流れの中を歩んでるとも例えれます。

この世界の時間を止めることができません、しかし心の時間は止めることができます。

では10年間の悲しみを乗り越えたとしたらどうなるでしょうか、

その瞬間から心の時間は大きく動き出します、
つまり心という空間の変化が生きる時間の流れを変える、それはその人の尺度によって決まるということです。

もっと分かりやすくお伝えすると
心の時間の針を動かすのは自分であり、そこに留まることを一秒でやめようが一生そこにいようが自由ということです。

これは全ての感情、思いに言えることです。

逆をいえば、心の時間を未来に向けることもできます、信じることで心の時間を早まります、それは自分だけでなく信じた存在と共に成し得てく時間とも言えると私は思ってます。

ここで重要になってくるのは、
肉体的に長く生きたかではなく、心として濃厚な時間を過ごしたかになっていきます。

心の時間の選択に歳は関係ありません、どのタイミングからでもできます、

これが差別値としての時間であり、誰もが生かされてる時間なので平等値でもあります。

こう言うとなんだか言葉遊びみたいになってきましたが(笑)

このことに気付いていくと時間の概念、捉え方が変わっていきます。

今回は時間の平等値と差別値についてお伝えさせていただきました。

お伝えしたことが何かのきっかけとなっていただけたら幸いです。

お付き合いいただきありがとうございました。

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