心の山へ

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地球とは心の世界であり、心という精神性を知り智慧とする世界です。

それは人間には心があり、この地球で心という光を見つける旅をしてるとも言えます、

この心を学ぶ中で、人と人がぶつかり合いや、見ている所の違いが摩擦になることも多いのですが、

なぜ、分かりあえないのでしょうか?

このことを伝える為に、
心の世界を山登りと例えてみます。

私たちは頂上にある光の景色を求めて心の山を登ってます。

山登りには東西南北のルート(心の道)があります、

ルートは補装された道だったり、崖を登る危険な道や自然あふれる獣道だったりと多種多様です。

中には道中に見つけた真っ暗な洞窟に進んでしまったり、道が途切れてしまい、進むべき道を見失う方もいます、

このルートがそれぞれの人生であり、もっと深い話しになると魂の個性として上を目指す為に、何度も転生し進む道でもあります。

それぞれのルートが違うと言うことは、同じ心の山を登ってても北と南では認識できる景色が全く違います、

例えば北は湖の美しい景色が見え、南では人々が暮らす街並が見えるとしたら全く違いますよね、でも登ってる山は一緒です。

ここが見解の違いや争いが起きるきっかけになります、お互いが見てる景色が一致しないからです。

北と南は捉え方を変えると表と裏です、

それは自分の見ている心の景色が表であると信じ込み、相手が裏と決めつける感情や思いのまま「自我の正義」を押し出すことを互いに起こすと溝や亀裂、争いが起きます、

これが家族、友人、関わる人の中で起きてます、さらに大きな視点になると、国、文化の違う人種、宗教観での争いになってきます。

ここで気づくべきことは、それぞれのルートの景色は違えど「頂上にある景色は同じ」であり、その景色を見る為に自分が学びたい道をそれぞれが選んでることを「知る」です。

山は登るほどに認識できる景色の幅が広くなります、

最初は北の景色しか見えなかったのが登るごとに北西の景色になり、さらに登ると北西東の景色、そして頂上では東西南北360°全てが見渡せる一つの景色になります。

このことを知ることから自分の見てる心の景色を知ろうとし、相手の見てる心の景色を知ろうとする認識が始まります。

なぜなら、私たちは「知る」ことから全ては始まるからです。

この「知る」が地図となります。

地図があって初めて自分と他の個性の違い(ルート)に気づき、登ってる山(心)は一緒であることの認識がぼんやりできてきます。

それが相手を認めて、自分を知ることに繋がり、

そこから真っ暗な洞窟に迷ってることを知ったり、急な崖を軽装備で進もうとしてたりと間違いや至らない所に気づき、ルートの修正も見えてきます。

なので、時には相手が自分の知らないルートの素晴らしさを教えてくれてて、そのルートに惹かれ変えてくこともあります、

ただ気をつけなくてはならないのが、真っ暗な洞窟探検に誘われてる場合もあります。

ルートは無数なれど目指す心の頂上は1つ、多くの方がこのことを知ることが分かり合う心の世界への一歩になると私は思ってます。

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