資産形成という言葉があります、資産を運用、投資をして資産を増やすという意味
この資産とは、お金や物などの物質的な資産のことを指していて、もし「死」を迎えこの世を離れると当たり前の話しですが持って帰ることはできませんよね。
では「死」を迎えても持って帰れる資産があり、それが永遠に減ることのない資産だったとしたらどうでしょうか?
それが「魂の資産」です。
今回はこの魂の資産があるというお話しをしたいと思います。
関心、興味がある方はお付き合いいただけると嬉しいです、長くなるので項目ごとに分けてあります、気になるところから読んでいただけるようにもしてます。
魂と心
魂の資産形成といってもピンとこない方も多いかも知れません、なのでまずは魂と心の関係についてお話ししますね。
私たちには目に見えない「心」があるということは多くの方が気づいていると思います、「胸を痛める」という言葉があるように、出来事に対して心臓に近い胸のあたりが締めつけられるような感覚や温かくなる感覚を経験した方もいるではないでしょうか。
そこに心が存在するというのが私の捉え方です。
この心は魂の中心部にあります、魂とは身体を覆うようにあって、胸の真ん中あたりに心があるというイメージになります。
そう捉えていくと魂が成長することによって心も影響を受ける関係があることがわかってきます。
「魂」は経験したことを全て感覚として吸収し、蓄積していきますが、それが「心」として扱えているかは別なんです。
どのようなことかと言うと、
「魂という器」があってそこには「経験の全て」が貯まっていきます。
この経験には種類があって、
幸せな経験
楽しい経験
辛く、苦しい経験
悲しい経験
怒りの経験
など多種多様にあります。
これらの経験を、感覚として魂の器に注いでいくことが「魂は経験の全てを吸収」するという例えです。
もし、上に書いてある経験を全部一緒に入れたとしたら…綺麗なイメージよりもドロドロなイメージの方が強くなると思います。
ではここで想像していただきたのですが、私たち人間には感情があります、全ての経験を一緒にした魂の状態で、感情が激しく動きだし、吸収した経験がかき混ざったとしたらどうなってしまうでしょうか?
こんな経験はないでしょうか、
例えば、最初は悲しさだけだったのに、感情が揺れ動くことで、いつの間にか怒りにもなっていて、今度はその怒りが恨みにも繋がり、そしてそんな自分に気づき、自分を嫌悪したりとぐちゃぐちゃのドロドロになってしまう経験です。
このように自分では感情が制御できにくくなってしまい自分自身がドロドロの経験をされた方、もしくは人からこのドロドロ経験を受けた方もいるのではないでしょうか。
つまりこれは、誰もが経験という魂の資産を感覚として集めています、しかしどの経験がどんな魂の資産となるかに「気づけてない」「知らない」と言うことです。
ということは、どの経験が魂にとって重要度の高い資産なのか、または重要度が低いガラクタに近いものを実は資産としてる区別、判断ができないままごちゃ混ぜにしてるということです。
もう少し簡単に言うと絵の具の色を好き勝手に混ぜていくと必ず暗く汚い色になりますよね、この現象が魂の中でも起きてるということです。
ではもしも、魂の器に蓄積した経験を種類ごとに仕分け、必要に応じて使ったり、経験を混ぜてさらなる魂の経験からを生み出すとしたらどうでしょうか?
その役目をしてるのが「心」なんです。
心とは、
吸収した経験を魂の資産として受け取り、種類ごとに仕分けしたり、
経験を心がポンプとなり循環させ汚れを取り除き、さらなる心を知ったり、
経験を組み合わせ新しい魂の資産価値を生み出したりと、
魂の資産という経験の全体を管理する場であり、経験が何を意味し、どのように受け取り使っていくかを判断する場でもあります。
例えば、感情が揺れた「怒りの経験」もこれが自己中心では負の心となりますが、相手を想う「幸せの経験」を混ぜ合わせることで「怒る」ではなく「叱る」となり、相手を導く為の心の動きとなります。
つまり、魂の資産を感覚やこの世だけの知識で一色単ドロドロに使って何が起きてるかわからなく、いつの間にか苦しさを生み出してるのも心であり、
魂の資産をしっかり見極め判断、管理して使って幸せを見いだせるのも心であり、両方とも同じ心なんです。
この心を磨いていくことが魂の資産としての価値を見分け、人間性を発展させる動力となり、より豊かな魂の資産が築けるとも言えます。
しかし、今は心を磨くのが難しい時代と言えます、それはなぜなのでしょうか、ここも少しお伝えします。
心による幸せの定義
今の時代のように社会の利便性が大幅に上がり、多くの人が物質的資産を求める傾向の強い時代ではそこだけに執着し、魂の資産というものが隠れてしまい、物質的には豊かに見えますが、心の幸せを求める定義が狭く浅くなり心が貧しくなりやすい時代が訪れてます。
例えば、お金で愛の本質は買えませんが、お金で守れる愛の経験はあると言えますが、
このことすら見失ってしまい、物質的な欲望こそ幸せであり、お金が満たしてくれると思いこみ、この方向に走り出す方も理由です。
だからといって物質的な資産を否定してるわけではありません、むしろ生きるためには必要ですし、富が必要となる経験領域もあります。
ただ、先程お伝えしたように身体と魂と心が三位一体となるならば、全てからなる幸せを資産とする必要性があると言えるのではないでしょうか。
なぜならば、お金持ちが必ずしも幸せとは限りませんし、お金がないから必ずしも不幸ということがないように、
「物質的な資産 = 幸せの全て」という方程式は成り立たちません、その理由は魂の資産と心の豊かさが深く関係してくるからです。
自分自身に有る、魂の資産価値を心が認識し、その資産を運用したのであれば、人生の様々な状況に置かれたとしても幸せを見い出すことができ、平穏で豊かな心へと満たしていきます。
しかし「人生」だけを幸せの全てとし、そこに「価値観」を置いてしまうと「心の豊さ」がズレてきてしまいます。
なぜならば、魂の資産に気づいていくと「人生」とは魂が成長、あるいは進化するために選んだ「道」だからです。
つまり魂が先であり、人生は後です、そしてこの両方によって心がより磨かれるわけです。
ということは、魂の価値観が先にあるということを忘れたまま、人生が全てだと思い込んでると死 = 終わりというこの世だけの価値になってしまいますし、
また、魂が先だという意識に囚われすぎてスピリチュアル的なことばかりを追い求め、人生でやるべきことをおろそかにしてる価値も同じことが言えます。
そうなると人生を通して、魂の資産と心を育てる深い考えには辿り着けず、好き勝手に生きることを自由だと思い込んだ人生を歩んでく、偏った価値観と人生観になってしまいす。
価値観と人生観
人生、魂、心をさらに深く見つめるためにここからは価値観とは何か、そして人生観とは何かをお話しできたら思います。
まず、私たちにはそれぞれの考えや思いがありますよね、これは「魂の個性」です、または「魂の傾向性」や「ユニーク」とも言えますが、
魂の個性をもう少し簡単にいうと、無意識に優先して集めてる魂の資産の違いであり、この個性を優先した価値観で物事を判断している部分があると言うことです。
そしてこの価値観が集まったものが「人生観」または世界観とも言えますが、つまり「現時点での心」となるわけです、
価値観の傾向性が似てる人はいたとしても、この価値観が集まった人生観とは千差万別であり人生観が全く一緒ということはありません。
なのでこの人生観を「これこそが自分だ!」と思い込むことになります、なぜ自分だと思い込んでるという言い方になるかは後ほどお伝えしますね。
では少し視点を変えてお話しを続けます。
私が友人と話してる中でこんな話しがありました、
「もしも、幽霊を見てしまったらどうなる?」と私が聞いくとその友人は、
「価値観…いや人生観が180度変わってしまう」と言ったわけです。
それはそうですよね、今まで幽霊の世界が「無い」と思ってたものが「有る」と知ってしまったら、「幽霊の世界が有る」という価値観が増えるわけです、すると今回増えた価値観が人生観をも変える大きさだったので人生観が変わるとなりますよね。
このように見えなかったことが、もしも見えたりしてしまうと簡単に価値観が増えます、すると人生観をも変えてしまいます。
これは当たり前のことですが、基本人間は知らないことを自分だけで知ることができません、なので今ある自分の情報の中から正しさを求め当てはめていくしかないわけです。
幽霊の話しのように見えない世界が見えるようになって価値観が増える又は価値観が広がるは、わかりやすい例ですが、実は見えない世界は見えたから変わるわけでもありません、
もう少しお話しすると、「愛」という存在はありますが愛自体は見えませんし、見たという方もいないと思います、ですが様々な経験の中でこの見えない「愛」とは何かを知り価値観となり、それが人生観を変えたということもあります。
もしも、自分の内側しか見なかった自己中心な愛が、経験の中で自分の外側にある自己拡大させる愛に気づき受け入れたとしたら、それは大きな魂の資産になります。
なので私たちの魂の経験と心の広がりとは見えてる世界と見えない世界両方が密接してるということが言えます。
ではこの価値観と人生観をもう少し踏み込んだ「見える世界と見えない世界を1つにしていく」お話しをしたいと思います、なので少し難しくなりますが、見える世界と見えない世界を繋ぐ大切なお話しですので良かったらお付き合い下さい。
次元領域
次元という言葉は聞いたことがあると思います、この次元は様々な定義、方向性の例えとして表現できるのですが、今回は「次元 = 魂の領域」としてのお話しさせてもらいます。
では、
3次元という「物資世界」
4次元という「思いの世界」
5次元という「魂の世界」
6次元という「真理の世界」
7次元という「人格神の世界」
8次元という「神仏の世界」…
とさらに続く魂の領域があったとします。
ここで考えてほしいのが、3次元の物質世界だけに生きる人の価値観 = 人生観は3次元しか明確に認識できてない心であるということになりますよね。
ではここにもし、4次元の思いとは何か?を認識できる価値観があったとしたら、心は4次元の人生観も加えた領域に広がります。
なぜなら3次元の物質世界に連動した、4次元の見えない思いの世界があるのことを心が認識して生きるわけですから、
もう少し説明すると、4次元世界の自分を知ってくということです。4次元世界の自分とは「目に見えない感情に揺る、もしくはブレる私の思い(心)とは何か」です、ここに気づき知っていくわけです、
さらに視点を変えて簡単に言うと、先程登場した幽霊とは、この感情に揺れる思いが強すぎ執着して留まってる状態(この世から離れられない状態)、もしくは思い波長が同調してる心に着いてる状態(人の思いに憑依してる状態)とも言えます。
なので幽霊とは、3次元から離れたのに3次元に執着した4次元世界の住人です。
ということは「苦しさや生きづらさ」などは感情から影響されている「思い」があったことを知っていくと、
それがどこから来るのかの原因に気づき、どう対処していけばいいかの価値観が増えたとしたら人生観も変わって、苦しさ、生きづらさを滅してく方法や死後に幽霊になって留まらない方法も知ってくわけです。
実は幽霊として留まらないことが5次元の「魂の世界」の価値観を心が認識することにも深く関係していきます。
5次元の世界は魂とは何かを知り、人生の目的、意味をも見えてくる領域に入ってきます、なぜならば魂が求める人生を選んできて、どう歩むかと言うことにも気づき判断できるからです。
そうなると、死とは新たな始まりであり、魂が求める次の目標へ向かうわけです、なので幽霊になって留まっている場合ではないんですよね。
このように価値観が増える(外側に広がる)ことで必然と人生観は大きくと変わる方向に動き出します。
今の人生を歩んでる因果とは何かに気づき、魂が描こうとしてる幸せの領域が見えてくることは、心の豊かさと直結してるからです。
先程、後ほどお話しするといった「これこそ自分だ!と思い込んでる」とはこの価値観に気づいてないからということです、
価値観には更なる広がりがあり、今の思いや考え方も変わる可能性があるということがわかれば、これが本当の自分とは決めつけたり、おごりや慢心することはできないからです。
この次元のお話しはもっとわかりやすいようにさらに砕いて図で説明してみます。
図1、実はこのように魂の次元領域とは1つでありそこに気づいてないだけ、次元領域の「価値観」が増える(広がる)ことによって「人生観が変わり魂の領域が広かった」ことを心が認識してく = 魂の資産は増えたと言えます。
図2、魂の資産があるのに心が認識できず、バラバラだったり、その領域は存在しないと思ってる、なので物質的な価値観しか受け入れることができないです、図2は分かりやすくイメージするために次元領域をバラバラにしましたが、実際は次元領域は図1の状態です。
このことで次元領域から見た価値観と人生観がどう魂の資産と結びつくかを多少なりとも知るきっかけになっていただけたと思います。
魂の成長と進化の違い
ここまででは魂の領域 = 魂の資産を心が認識してくことで増えていくということをお伝えしてきました。
ここで重要なのは、この次元領域を越えてくことは魂の成長の延長上にはなく、「進化」にあると言うことです。
ここがわからないと成長ばかり求め、進化に至らなくなります。
ここは蝶の話しで例えさせてもらいますが、
蝶の元はイモムシでもありますよね、このイモムシは成長が可能です、脱皮をして大きくなります。
しかし、イモムシはどこまで成長してもイモムシのままですよね、このイモムシを先程の次元に当てはめると、3次元の成長はどこまでいっても3次元のまま、つまり3次元の物質世界だけの成長ということです、
では、イモムシが成長の限界を迎えたときにどうするかというと姿を変えサナギとなります、このサナギの中ではイモムシの体を溶かし、姿を変える準備をしてます。
このサナギの状態が4次元とするなら、イモムシであった3次元の自分を溶かし、4次元の思いとなる自分とは何かを見い出していくと言えます。
さらにサナギとしての成長を越えていくためにはどうするでしょうか?ここでみなさんの知ってる蝶となります、ここで蝶を5次元で例えるならば、
「魂の世界を認識した心」ということです、蝶は空を飛びます。
これは、
3次元の物質的身体となる自分、
4次元の思いとなる自分、
5次元の魂となる自分、
全ての価値観が1つとして認識できる心があり、5次元に生きる人生観と言えます。
少し難しいお話しになりましたが、何が言いたいのかと言うと、イモムシ→サナギ→蝶は同じ種であり、成長はしますが、次の姿となるには別な形となる「進化」が必要です、
陸に生きるイモムシが、空を飛ぶ蝶になるには、同じ生き物なのに別の姿になるということです。
しかし私たちは蝶のように姿を変えることはできません、なので私たちの進化とは何かというと、魂が集めた資産経験を糧に「心を進化」させていくということです。
心の進化させていく為には認識力が必要となります、この認識 = 悟りという領域に入っていきます。
四聖と呼ばれる偉大な存在がいます、釈迦、キリスト、ソクラテス、孔子は遥かなる高き次元の世界を認識し、それを人間にも分かりやすく伝える為に教義や理性、知性として言語化表現をし、心を照らす光として伝えてくれたとも言えます。
魂のDNA
そうなると何の為に魂は成長、進化をしなくてはならないかという疑問も生まれますよね。
そこを最後に触れていきたいと思います。
この世界を繋いできた人間(身体)のDNAがあります、このDNAを織物のように紡いでくれたお陰で今の文明、文化、国があり私たちが今ここに「ある」ということです。
身体のDNAの他にもう一つDNAがあります、それが「魂のDNA」 です。
簡単に言うと、魂の親となる存在がいるということです。
それこそが「ワンネス」と呼ばれる存在であり、根本仏、唯一神、ソース、宇宙など様々な呼び方があますが、そのワンネスの念い、願いが私たち魂のDNAに刻まれてます。
そしてワンネスの念いを引き継いだ魂のDNAには、自然を見て美しいと観じる心や、愛とは何かを求める心など誰もが生まれながらにして持っている魂の記憶があります。
これらは教えられたから知ったわけではありません、
国、文化、人種という垣根越えてみんなが持っているものであり、この心こそが魂のDNAだと私は思っており、ここに魂が求めるヒントがあるとも思っています。
なぜならこの「美しさ」や「愛」を思う先には必ず「幸せ」が連動してくるからです、愛に溢れてて不幸と言うことがないように、心は愛を求め、幸せを求めます。
しかし愛には質があります、簡単にいうと「愛を得るために与えてく幸せを愛とする」人もいれば、「愛を得るために奪うことで幸せを見いだす愛」もあると幸せであっても愛の質によって全然違うものになってくるということです。
もう少し簡単にいう
「与えてく無償なる愛」は共に幸せを描き、「自分を正当化する奪う愛」自分の幸せのために奪った数だけ不幸があるです。
これも先程伝えした、価値観の広がりによって見てる視点が違ってきます、
なぜなら3、4次元だけの価値観となれば生き物の本能たるDNAや自分の思いしか見えず、そのDNAが伝えてる範囲の愛を優先していきますが、
しかし、5次元以上の魂のDNAという価値観になれば、ワンネスからは旅立った魂の全てが兄弟であり姉妹でもある「尊さという愛」に気づいていくからです。
では私たちの魂のDNAが導いてくれる
「美しき愛」とは何でしょうか、
「与えていく愛」以上が良質な愛であり、ここに魂の資産価値があります、しかしここはさらなる愛を知る入り口にしかすぎません、
ここを入り口とした時に、さらなる繁栄と発展を迎えた愛の存在が明らかとなるからです。
では、先程の自分を正当化するため「奪う愛」を選択した方はどうなるでしょうか?奪うことから与えてることを知る愛もあることが言えます、
その理由は「価値観は無限に広がり変化できる」からです、しかし奪った責任はあるのでそれは刈り取らなくてはなりません。
ワンネスから魂のDNAを引き継いだ個性豊かな魂達は、
様々な経験を元に磨かれた心が、さらなる個性という魂の資産を得て、その資産が智慧となり良質な愛を知ります、
そして智慧が良質な愛を波紋のように押し広げ、宇宙は拡大し続けていると私は思ってます。
言いかえれば「愛を学ぶため」に私たちは様々な人生を選び、その経験の中で心に気づき、永遠となる魂の資産を増やし、増やした資産をさらなる魂の幸せへと運用し、運用された幸せという富を他にも分配投資することでさらなる愛という幸せの領域を広げていく、ここに魂が存在する意味であり、ワンネスから引き継がれてる念いと願いがあるのではないでしょうか。
大変長くなりましたが、今の私が捉えてる魂の資産形成というのは何なのかを伝えさせていただきました。
魂の資産形成とは何か?を全体的に伝えるための表現なので、難しかったり、わかりにくいこともあったと思います、今後は個人に合わせた魂の資産形成と運用を共に考えていく個別なセッションをもやってく方向です。
ブログを通して何か一つでも持って帰っていただくことがあれば幸いです、お付き合いいただきありがとうございました。
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