信じる必要性と自己拡張

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今回は信じるをテーマにお伝えさせていただきます。

信じることから始まる

みなさんは「信じる」ってことについて考えたことはありますでしょうか?

漠然とはあるかもしれませんが、なかなか信じるとは何かに焦点を当てて考えようとする機会はないかもしれません。

しかし「信じる」という言葉が心に訴えかける響きがあると感じる方もいるのではないかと思います、

私にとって「信じる」ということがとても大きな未来の力になるという確信があります。

心の世界だけでなく全ては信じることから始まります。

それは私たちの目の前には「見えない扉」があって信じることによりその扉を開けて次に進むとも例えれると私は思います。

これが心の世界だったり、人生や物事だったり、人を信じることも一緒です、ここで繋がりが生まれます。

この「見えない扉」とは「未来」でもあり、そこに辿り着くためには信じる必要があるという訳です。

信じる勇気

ここで「見えない扉」を「襖」という日本風な扉に変えてみます、

映画やドラマで上の画像のような襖を開けたらまた襖があって、それが何十にもあり次々に開いていき、奥が見えないながらも先に進むシーンがあったりします。

このようにも例えれると私は思っていて、

信じることにより、1つの襖が開き先に進め、もっと強く信じることで次の襖が開くイメージです。

つまり、信じることで襖が開き次にステージに進めますが、また次の襖を開けるには信じる度合いが強くならないと開かず、その場でストップするとも言えます、

私たちは何かを信じるためには、
「確信に向かう勇気」が必要となり、
一歩踏み出さなくてはなりません。

もし、この信じるが確信レベルだと先々にある幾つもの襖が一気に開き道となります、

先が見える状態なので止まることなく、目指す道を突き進むことができます、逆に言うと信じた道の奥行きが浅かったり、行き止まりだった場合も分かってしまうということです。

つまり信じることが心の時間を動かして、信じて繋がってる「未来」に進むとも言えると思います。

しかし中々「確信」には近づけません、なのでそこに繋がる経験しながら心というコンパスで進むべき道を確認してるわけでもあります、

ここまでを簡単にまとめると、
信じることから全てはスタートし、繋がる道となる扉が少しずつ開けていく、その為に勇気を持って前進し、経験をつみながら進むべき信じるを確認していくです。

しかし、信じたことが自分にとって最良だったとは限りません、カルマや魂としてのミッションが関わる学びもあるので避けられないことも多々あります。

なのでもう一つの視点として、
信じることを変えなくてはならない時もあります。

心の乗り物

ここで一つの例えとして、
広い心の世界を旅する移動手段に車を使ってます、しかし陸路の旅が終わり次に進む場所が海路となった場合みなさんはどうするでしょうか?

中には泳ぐという方もいるかもしれませんがこれでは時間がかかります、なので多くの方が船で進む選択をするのではないでしょうか。車で海は渡れませんよね、

つまり大きな分岐点にたどり着いた場合、乗り物も変えなくてはならないと言うことです。

この「分岐点=信じる」であり、今まで信じてきてたことを変える必要があるかもしれません。

このような経験をすると、信じる違和感となったり、心の進む方向性が一致しない、得たいことと違ってきてるなどが居場所の違いに気づいていきます。

大乗仏教や小乗仏教という言葉があります、この「乗」とは悟りに導く乗り物を意味してると言われてます。

つまり乗り物を変えないと辿り着けない心の世界もあると捉えられると私は思ってます。

手放す勇気

しかし、人は信じていたことに費やした労力や時間、繋がりを意識するとそこに執着が生まれなかなか手放せません、中には

「人生の多くを費やし、これを否定してしまったら私の人生を否定してしまう」

「ここまで来たらもう引き下がれない、間違ってようが進むしかない」

「何か違うような気がするが、関わることをやめたら仲間がいなくなってしまうかも」

「めんどくさいのでこのままでいいや」

などなどの様々な理由や見解があると思います。

しかし、新しいことを掴む為には、今まで掴んでたことを離さなくてはなりません、でないと掴むことができませんよね、

それは信じることを止めることに繋がり、変えるためには「大きな勇気」が必要となります。

信じたことに人生としての時間を多く費やしたかもしれませんが、心や魂の視点から見るとここで気づき、「方向転換」をすることの方が大きな成長となります。

そしてここまで信じてたとこで何かしらの学びがあり、自分成長に繋がった事実もあります。

なのでこのことに感謝を持ち、
別れを告げ、次に向かうことが大切だと私は思っています。

そしてもし、信じることから抜ける決断から信じてたことが手のひらを返したような大きな邪魔となるのであれば、その信じるはそこまでだったことの現れでもあります。

信じることを変える経験が、次の信じるへ導いてくれる経験材料にもなりますし、この費やした時間は無駄ではなく学びに使った時間です。

今回は簡単にはなりますが、
信じるを「繋ぐ」と「手放す」の2つの視点からお伝えさせていただきました。

信じる道を確認してる方、迷ってる方、見失ってる方、猪突猛進で進んでる方、一休みしてる方と状況は様々だと思いますが、確認の材料の一つとなるとしたら私にとっての幸せでもあります。

お付き合いいただきありがとうございました。

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