日々の生活をしてる中で「ありがたいなぁ~」と感謝を思ったり、伝えたりする瞬間があると思います。
感謝とはどんな時に捉えられるのでしょうか?
喜びに心踊ることが感謝になったり、
助けられた安堵が感謝になったり、
悩みや苦しみの解放のきっかけが感謝になったり
と感謝に対する反応は人それぞれですが、
自分の心を陰陽で表そうとした時に、
「陽にふれる」、もしくは「陰から陽に転換される」と感謝として捉えやすいことがわかります。
これは「心に光が灯す」とも言えると思います。
では苦しみ、嫉妬、悲しみ、慢心などの陰の感情が駆け巡る真っ最中に感謝はしやすいでしょうか?
心が陰にふれたままでは感謝として捉えるのはなかなか難しいかもしれません。
つまり感謝できる「出来事」自体に変わりはないが、自分の感情や思いに左右される可能性があることがわかります。
人間は心が良い状況の時には感謝ができます、
ですが、心が辛い方向に傾くと感謝ができにくいものです、慢心があってもです、なので口先だけの感謝ってのもありますよね、
そして「当たり前」と錯覚する心があっても感謝はできないものです、その錯覚は失った時に感謝となり気づくこともあるでしょう。
ここで少し「当たり前」という視点を見てみます。
この世界に太陽があるのは当たり前ですが、
もしも、この太陽がなくなったらどうなるでしょう?
答えは簡単ですね、地球で生きるという選択が一瞬で全て奪われます。
これは誰もが想像したら分かることですが、ここに一つの視点があります。
「当たり前」であることに生かされてる感謝が存在するという視点です。
ただ、先程お伝えしたように私たち人間は、感謝を自分の心のさじ加減で判断しがちになることがあります。
人間である以上このブレはありますが、ブレてる自分がいることに気づき、意識することでそのブレ幅は狭く穏やかな心へと成長していきます。
大切なのは…
感謝し合うことが互いの心に光を灯す行為であること
今ある当たり前が、当たり前ではない感謝を知り、そこに心を向けること
もし感謝ができなくても、そんな自分の心があることを知るのも大きな学びと思います。
例えば、嫉妬があり感謝できない場合、その対象に嫉妬する自分がいることを知るチャンスですよね、
ただし感謝といっても人を欺き騙したり、落とし入れることを喜びとする感謝は「心に闇を灯す」行為になりますので気をつけて下さい。
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