反省から始まる、心の生まれ変わり

記事
記事
この記事は約4分で読めます。

反省と聞くと「苦手だなぁ~」と思う人もいるかもしれません、



幼い頃や学生時代に家族や先生に怒られて
「反省しなさい!」と言われ、



怒られたことを引きずって落ち込んだり、クヨクヨしてる姿をみて「よし!反省してるな!」と言われてる瞬間を見たり、経験された方もいると思います、




ここでお伝えする反省は全く違います、




そして心を探究するには、とても大切なのが反省です。




この反省を「取り組む」か「取り組まない」かが、心の成長の大きな別れ道になると思っています。




では、ここでお伝えする反省とは…

「自分を知る」です。



それは自分の思いと行いを「振り返り」、改めなくていけないところは「修正し反復させない」そして「執着」にしないです。



なぜ反省することに

「振り返り」

「修正し反復させない」

「執着」

というキーワードが出てくるのかをお伝えさせていただきます。



まずは執着からお伝させていただきます。

「執着」

人は執着することで心の波長が一点に集中し、そこから離れなくなります、




これが負の感情や思い、もしくは快楽でも起こります、





慢心からは自分は選ばれてる錯覚に囚われやすくなります、




そして一旦執着に傾きだすと、自分を知るどころかズレていることにさえ気づかなくなります。




執着とは「重い石」のようなものです、知らぬ間にその重さが足かせになり、




さらに本来進む方向とは違う方向に引っ張られる原因になります。




「執着も学びだ!」と言えばそうなんですが、




執着の新芽を摘むのと




育ちきった大木を根ごと抜くのはどちらが大変なのかは想像していただくと分かると思います。




なので執着を育てない為に日々の心の動きを振り返ることが大切です。


次に振り返りです。

「振り返り」

心を感情やおもいなどの波が立たない状態に落ち着かせ、自分に起きた出来事、それに対しての行いや考え方を振り返ります。


「内観」ともいいますが、ここで感情の波が揺れてると内観できず、「内感」になります、



内感だと感情のまま、自分の都合の良い感じ方を選択します、つまり「やるべきこと」よりも「やりたいこと」に向かっている可能性があります、気をつけなくてはなりません。


では、どんなことを振り返るのでしょうか、
例えるなら…


自分の在り方だけでなく、相手の在り方も見て自分見えてる視点を押し付けてなかっただろうか、




自分の感情という物差しだけで判断してなかっただろうか、




伝えた言葉に責任を持ち、相手の心を奪う行為をしてないだろうか、




など、最初は自他の感情の動きを客観的に捉えてくところからスタートして、少しずつ自分の内観できる範囲を広げてくことが大切だと思ってます。




振り返りが慣れてくると、もっと鮮明な自己との出会いが待ってます。




この「自分を知る」内観をとても大きな視点、かつ繊細な視点で伝えてるのが仏陀の説いた「八正道」だと私は思ってます。



最後に「修正」に入っていきます、

「修正し反復させない」

感情を落ち着かせ、客観的な視点で自分の行いを判断、分析し、良いところは糧とし伸ばし、必要ない部分は修正し、同じ道を歩まないようにします。




間違ったことは認め、反復させないことが執着を絶ちます。


この一連の心の行動が自分を知る「進歩」であり、

今の自分が正しいと思っていては「進歩」はありません、進歩するには今の自分を打ち砕き、さらなる調和へと心を向かわせる修正とさらなる調和の心を維持するための反復が必要です。

この進歩はもっと長い目でみると、自分がどこからきて、どこへいくのかを知る「進化」へと繋がっていきます。



最初に例えた引きずったり、クヨクヨすることが反省であればそれが執着になり、その重さに心が沈み動けなく、トラウマになることもあるでしょう。


私も自分を知り変わる為に毎日が反省の日々です、そしてこの一歩一歩が道になっていくと実感してます。

中でも自分本位な心の判断に後悔や自分を恥じた反省はとても大きな一歩となります、なぜなら見えてなかった自分との向き合いだからです。

心とは、反省からの改心によっていくらでも方向性を変えることができます。

コメント

タイトルとURLをコピーしました