謙虚という言葉があります。
みなさんはこの謙虚を常々心がけていますでしょうか?
謙虚と聞くと、実は私としては耳が痛い話しになります。
せっかくなので、
この耳の痛い話しを例としてお伝えさせていただきます。
まず結果から言うと、
私はとても傲慢な男の人間です。
このことに生まれてからずっと気づきませんでした。
そして、自分という存在をあまりに知らないということを知ることになります…
この話しは心の探究を始めて少したった頃の話しなので、今から約1年のお話です。
ある時に、人とお話をしていると
「偉そうだね」と言われる瞬間がありました。
「ん?何が」と思いましたが、相手の方も感情を出して伝えてる訳ではないので、その時は気にしませんでした。
またしばらくすると、今度は違う方から「王子さまなんだね」とさらっと言われる瞬間があり、
なんだ!この例え方!?と思ったのでそれはどういう意味かと聞くと「偉そうに話すから」と言われたんですよね。
心の探究を始めてたので、連続で伝えられる違和感があって、初めて私は相手に対して「自分が偉そうに喋ってる可能性がある」ことに気づきました。
それは本当なのか、ここらから自分の心を見つめて深掘りしていきます…
そうすると過去にも「偉そう」と言われてることが何度もあることを思い出してきました。
ここで初めて自分の傲慢さが確信に変わります。
もう少し深く探究してみると、
無意識に傲慢になってることにたどり着きました、
ここがポイントでした、
無意識=自分ではそのことに気づいてない=自分を知らないです。
そこで「偉そうにしゃべって認められたい自分がいるんだなぁ~」ってことに気付き、
あまり寂しいとは思って無かった自分と、認められたい寂しい自分のギャップがあることにも気づきました。
これが私の経験です。
ではこの現象を考えてみると…
私たちの目の前には心の鏡がありますが曇っていて見えません、
この鏡は水垢(心の垢)がこびりついた状態で、自分を見ようとしてもぼんやりとした姿しか見えません。
心を磨くことによって、初めて少しずつ自分が見えてくるのですが、頑固な垢を落とすには落とし方を知り、それにあった努力が必要です。
なので最初は自分では見ることができないから落とし方のヒントとして、
他の人が鏡となり、自分を知るきっかけを伝えてくれてることもある。
これが進んでいくと、自分の心の鏡が見えてきて、他人の心の鏡と向き合わせることで、「心の合わせ鏡」となり、深い心の世界が見えて来る。
これは私のイメージです。
なので、複数の相手から同じ言葉が出る場合は、伝えられたことを無意識にやってる自分がいるのを教えてもらえてる可能性があることです。
そしてここで大切なのは、言われたことに対しての相対感(自他に関して思ってる、思われたい比較感情)に翻弄されるのではなく、
ブログに過去3回連続で伝えさせてもらった
「素直」「感謝」「反省」で振り返っていただけたらと思ってます。
ブログ内容を簡単に伝えますと
「素直」はまずは受け取る…
「感謝」は目の前に存在する…
「反省」は自分を知る為の心の行動…
になります、詳しくは過去のブログ内容を見ていただけたらと思います。
この3つの行い連動は謙虚に繋がります。
私自身も…
自分が自分に対して無知であることを知り、
それが無意識に出るレベルだったことを知り、
満たされてると思ってたのに、満たされていなかった自分を知ってしまったら
私としては無意識だろうが認めるしかありませんでした(笑)
自分が無知であり学ぶことが沢山あること、それは人が鏡となり教えくれることへの敬意と感謝、そこには深い愛も存在することが謙虚に繋がると思います。
そして、この至らないところを気づくまで見守ってくれた親族、仲間、存在たちが居たことも事実です。気づくだけでなく「ありがとう」を伝えることも大切です。
最後に傲慢な私はどうなったのかもお伝えしますね。
今もここに存在します、
認め受け入れてるので「個性」になりますが、傾向性でもあるので意識して動き出さないようにもしてます。
どういうことかと言うと、
最近デジタルタトゥーと言う言葉を聞きます、
このタトゥーはSNSの拡散などで完全に消せないそうです。
今回の私の傾向性も簡単に言うと魂のタトゥーです、カルマという言葉選びになります。
つまり崩壊しても傷跡は残り、完全に消えることはありません、誤魔化そうとしても存在によってはタトゥーがあったことは簡単に分かってしまいます、
なので「傲慢」と書かれた魂のタトゥーを消した後があって
たまに消した傷が傾向性としてウズくってイメージですかね。
こちらのカルマも機会があればお伝えさせていただきます。
今回は私事のお話しでした、
お付き合いしていただきありがとうございました。
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